イミテーション・オブ・サーク

1月21日に行ったダグラス・サーク上映会、そこで併映した「イミテーション・オブ・サーク」を制作した千浦僚さんより寄稿です。文章が届けられたのは7日なのですが、たまっている日記があるのでこちらに入れます。この作品を御覧にならなかった方も黄色や蛇について触れている箇所など、千浦氏の恐るべき映画記憶力とそれに基づいた発想に興味をひかれると思います。ロバート・スタックローレン・バコールを一人で演じさせるだけでは飽き足らず、無機物までやらせてるとは一体どんな映画だよ?と関心をもたれた方、残念でした。もう廃棄してしまったそうなので上映会にいらっしゃらなかったことを生涯悔いて下さい。


また『悲しみは空の彼方に』は4月に上映を予定していますが、サークのDVD-BOXが発売されるという情報もあるので正式発表は今しばらくお待ち下さい。それではどうぞ。



 予告編的併映おまけ短編 「イミテーション・オブ・サーク」(10分)について


 補足的説明事項
●この映像作品中で読み上げられる文章はすべて引用。


 冒頭のイントロダクションは「季刊リュミエール」誌・1986年春号の“ハリウッド50年代特集”中の記事からで蓮實重彦によるもの(これに続く本文はダニエル・シュミットのサークについてのドキュメンタリー「人生の幻影」の採録であった)。


 「翼に賭ける命」評はジャン=リュック・ゴダールによるもので、1958年「アール」誌8月号に掲載。「優雅にして的確な」というタイトルがついている。なおこの文中でゴダールシネマスコープの素晴らしさを語っているが今回の上映は残念ながらトリミング版。しかしゴダールの映画のフィジカルな側面への心酔ぶりがわかるのと、トリミング版上映でも伝わる良さに加えて、いつの日か真に‘ワイドな’「翼に賭ける命」を我々が観うるために、との思いで、引用した。
 そして「愛する時と死する時」評は1959年「カイエ・デュ・シネマ」誌4月号掲載、ゴダール執筆。「涙と速さ」というタイトルの文章。これらは筑摩書房の「ゴダール全発言全評論・」から。


 ラナ・ターナーの姿にかぶさって始まるナレーション、メロドラマの定義は、現代思潮新社刊「ファスビンダー」中の「すべて天の呪い給うところ ファスビンダーとメロドラマ」 四方田犬彦による、から抜粋。


 サーク作品6本の印象と作家論的エッセイは1971年ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーによる「イミテーション・オヴ・ライフ」と題されたもの(勁草書房刊「映画は頭を解放する」所収)。今作ではそこから三箇所ほどを抜粋。


●前項のR・W・ファスビンダー「イミテーション・オヴ・ライフ」中でファスビンダーが観たと語っている(そして今作が引用転用した映像と音響が由来する)6本のサーク作品をキャラクターに即して紹介すると、


◎「天はすべて許し給う」All That Heaven Allows 56年 子供たちと小都市の隣人たちのしがらみに縛られた未亡人(ジェーン・ワイマン)と、ソロー流の生活をしている庭師の青年(ロック・ハドソン)との恋。


◎「風と共に散る」Written On The Wind 57年 DVD出てるから観れ! なんか、もう、えらいことになってる映画です。 ハドソン、老練バコール、ロバート・スタックドロシー・マローン
  

◎「間奏曲」Interlude 57年 独逸に独り旅の独身OLジューン・アリスン、彼女が恋した指揮者ロッサノ・ブラッツィには精神を病んだ妻マリアンネ・コッホがいて…。


◎「翼に賭ける命」 The Tarnished Angels 58年 今回上映されて、資料があるので省略。


◎「愛する時と死する時」A Time to Love and a Time to Die 58年 前線から休暇でベルリンに帰ってくる兵士ジョン・ギャビンと恋人になる娘リーゼロッテ(リロ)・プルファー。


◎「悲しみは空の彼方に」 Imitation of Life  59年 女優ラナ・ターナーとその娘サンドラ・ディー、黒人の女中フアニタ・ムーアと、一見白人にみえるその娘スーザン・コナーらの共に暮らす日々、別れ、和解。ターナーの恋人にジョン・ギャビン


 こんな感じか。
 あと、このファスビンダーの文章は結構下品というか挑発的というか、“ファック”という単語が20回くらい出てくるのだが(ジェーン・ワイマン(の演じるキャラ)が偏頭痛に悩まされるのはあまりファックしないせいだ、とか、「風と共に散る」のラストでドロシー・マローンがこねくりまわす石油採掘タワーの模型はペニスであるとか、そういう話ばっかり)、そこにこめられたテンションこそがファスビンダーの“サーク体験”であったはずで、そのパンク的な言説がサークの作品世界の根底にあるアイロニーと絶望に、実のところぴったりシンクロしていることに疑いの余地はない。これ大事。そうでなければ「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」みたいな映画はなかったっしょ、やっぱ! あれこそハリウッド50年代を観たことをインディーズ(的製作)にどう活かしたかの希有な成功例。ヒッチコックってトリュフォーを褒めないんだよなあ。でもサークは、幾分儀礼的だけどファスビンダーを称えたからなあ…ムニャムニャ。


●配役  ロバート・スタック、黄色いスポーツカー、ローレン・バコール→長島良江
     ロック・ハドソン→中矢名男人  ドロシー・マローン横浜聡子

 
 ナレーション  長島良江  (一部は千浦僚)


 編集  黄永昌


 長島さんには無理を強いたです。ナレーション多すぎ。こっちの指示はいいかげん。 中矢さん、横浜さんはたまたまその日そのとき映画美学校で出会って。お二人ともそれぞれ新作の作業中であります。 中矢名男人監督作「Sad Girl」は映画美学校8期高等科制作作品、そのうち公開されるはず。 横浜聡子監督作「ジャーマン+雨」はシネアスト・オーガニゼーション・大阪エキシビション(略称CO2)の制作で、2月27日に大阪で公開されます、東京でも近々やるでしょう。 黄さんには徹夜させました。ひとの肩越しファイナルカット編集、いけません。そろそろパソコンを使えるようになりたい。僕自身がマウスに触ったの四回くらいでした。ほんとにありがとうございました。細かいタイミングとかはほとんど全部、黄永昌の個性かもしれない。


●木曜に撮影、録音、金曜に編集。日曜に上映。平日は仕事の後にやってたんで作業時間は十数時間だろうか。しかし、サークの映画を観た時間、それに思いをめぐらしたというかめぐらされた時間、JLG本やRWF本やサーク本を読んだ時間、そして数え切れないほどの回数カフェ閉店時間で追い出されるまで友人知人と映画ばなしをしてた時間、気持ちとしてはそれらはあきらかにこれとこれからつくりたいものの制作期間に含まれる、そうカウントしている。


●まだまだ観てない作品が多いので畏れおおくもなにを語るっつーの、サークについて!と思いつつも、いや、確実にその何本かには感動したのだ。(とはいえアホらしさに困惑することもあった。例えば「心のともしび」や「大空の凱歌」は、なんというか、いくぶんいいかげんな映画)で、あるから、オール引用で、共有しうるものをその場で共有したら、なんかいいんじゃない、と思って構成。なにもつくらず。かつて観られた感動、いまみた感動、その結節点がこれであり、あの日あの場でこれ観た人々がこの映像と音響のあつまりの真の作者であった。


●はじめ「ダグラスサーク日記」という題で考えていたときにはもっといろいろできるかなと思っていたんですがフィクショナルにギャグ的にネタを展開していくほど時間がなかった(準備して撮影するのも、できたとしても上映時間の枠内におさまらないという意味でも)。
 やりたかったネタは、なぜサークの映画で黄色がアクセントとして出てくるのかについての独断的推測(臆病をイエローと呼ぶ英語の俗語表現をサークが面白いとおもったからではないか、作中でも怖れから発する激情の場面で人物らがしばしば黄色を身につけている、なんてね)、なぜシュミットによって撮られた「人生の幻影」(ちなみに、この決定版ともいえるサーク解説作があるゆえに、これのあとなおもサークについての映像エッセイをつくろうという人間は、バカである。そして私は、バカである。)でサークは突如、蛇のことを話すのか(メロドラマがモラルについての話であり、男女のそれが描かれるならば、そのルーツはエデンの園の誘惑であろう。成瀬巳喜男と多く仕事をした中古智はある本で、成瀬がその名のなかに、蛇を意味する巳と、ミキ=幹の音を持っていて、やはり同様のイメージをもってはいたのではないか、と、そしてすくなくとも中古智自身はそれを思い、また、罪の蛇が囁きかけもした天地を貫く樹、それを切った切り株こそが食卓と家庭であり、それから自分の美術設計の世界がはじまる、というようなことをいっていたような気がする。うろおぼえで不正確ですが。メロドラマとモラルテイルと蛇とそして成瀬もからめたことを撮影しかけて、手に負えず、やめました)、それから出演者たちの他作品(「三つ数えろ」の眼鏡っ娘だったり、「あらくれ五人拳銃」の農場主だったり、「氷の微笑」でシャロン・ストーンの母的な役だったりするドロシー・マローンとか、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」でジョン・ガーフィールドを“臆病者!(イエロー!)”とののしるラナ・ターナーとか、「雲流るるはてに」でMGMのエース格ミュージカル女優であることをみせつけるジューン・アリスンとか、ごたごたと混ぜたかったがまあ無理。)などなど、いろいろ断念して仕上げた。このくやしさは別の、なにかつくるときに持ち越される、だろう、か。


●当然、文章をパクった本の訳者、企画者である方々にも感謝の念がありますが、権利うんぬんとか、まじめに突っ込まれたりすることを考えると、あまりに面倒くさく、ゆえにさっさとデータ廃棄証拠隠滅。もうこの作品は存在しなかったことに。


●考えることなしに映画の、フィジカルなグラマラスさだけとからみあいたかったッス。で、なにかやって盛り上げて、映画を共有する場となる上映会を企てる和田さんに協力したかったです。なったかどうかわかりませんが。そしてどうにもこれは、少なくとももう一本サークを上映してこのサイクルをしめてもらいたいところです。サークのハリウッド暮らしをしめくくったあの震撼すべき映画「悲しみは空の彼方に」で。半年に一回ごとぐらいのペースで繰り返し観たい、これは。どうぞよろしくおねがいします。