高麗葬&キム・ギヨンについて私が知っている二、三の事柄

eigahitokw2007-10-20


シアターコクーン 18:20 約500名(8割) オトコ6:オンナ4


この日から開幕の東京国際映画祭、仕事につきエドワード・ヤンの2作品は見られず、金綺泳監督『高麗葬』に駆けつける。今年から「アジアの風」のプログラミング・ディレクターが暉峻創三氏から石坂健治氏に代わった。「日本でだけは上映させない」と言っていた金綺泳監督(『下女』<60年>がアジア映画祭グランプリを小津安二郎監督『秋日和』と争い、大映の圧力で受賞を逃したのが一因らしい)の元に通い、多量の酒を酌み交わして「お前にだったら預ける」と言わしめ『下女』などの上映を果たした石坂氏ならではである。


石坂氏が在籍していた国際交流基金からウチの上映会が作品を借り受け、05年2月に『下女』(60年)と『死んでもいい経験』(88−95年)、そしてドキュメンタリー作品『マイ・コリアン・シネマ』(キム・ホンジュン監督)を上映した。『高麗葬』の主演は『下女』と同じくキム・ジンギュ(ユ・ヒョンモク監督『誤発弾』などで知られる名優。苦悩する中年男を演じさせるとピカイチ)、そして同時上映される『キム・ギヨンについて私が知っている二、三の事柄』がやはりキム・ホンジュン監督作品で上映前から胸は高鳴っていた。


その高鳴りは本編上映前の、3巻と6巻のプリントが失われているというテロップでやや落ちかけたのだが、始まった本編のクレジットがゴダールばりに格好良くてすぐに立ち直る。3巻と6巻の粗筋は字幕で挿入されるのだが「新妻は10人兄弟に輪姦される」とか大層刺激的で、そりゃ検閲がらみで失われてしまったのではないかなどと想像は各方面に拡がる。失われたプリントばかりでなく物語は「20年後」、「15年後」というテロップを挟んで大いなる飛躍を繰り出してくる。『下女』でお馴染み、テーマとしての姦通や登場人物としての不具者(足)に加えて、姥捨て、聾唖、あばた、巫女(ムーダン)とドギツサは『下女』を上回り、それら混沌と抑圧が、ただでさえ儒教社会でがんじがらめの韓国社会の、更に閉じられた共同体に大いなる炸裂をもたらすのだ。


10月26日(金)14:20にもう一度上映がある。仕事、学校、デート、メシ、借金返済、あらゆるものをうっちゃって見る価値アリ。


『キム・ギヨンについて私が知っている二、三の事柄』によるとキム・ギヨン監督作品でプリントが現存するものは22作だそうだが、私が見られたのは上記3作品の他に『火女』、『肉食動物』、『異魚島』のみ。シネマテーク・フランセーズ金綺泳監督レトロスペクテクティブが行われているからにはニッポンの民度が上がるよう祈ろう。あ、画像はですね、件の上映会の際、女性陣に「怖すぎる!」として却下されたチラシB案であります。