愛怨峡

DVD鑑賞


西山トークを聴いていて、ではその当時の現代劇ってどんな感じだったのかと、
『人情紙風船』と同年の作品、溝口健二監督『愛怨峡』を観た。
まあ一本観たくらいで比較できるものではありません。
ただ昭和十年代の風俗(けっこういかがわしい)が映し出されていて興味深かったです。
この作品では、山路ふみ子が成長というか変身を遂げていくのだが、そこも見物。


溝口健二は1898年生まれで25歳の時『愛に甦る日』(23年)で監督デビュー。
山中貞雄は1909年生まれで23歳の時『磯の源太 抱寝の長脇差』(32年)で監督デビュー。
10年くらい開きがあるので対照として適当でないかも知れないが、作品現存率(数)を比較してみよう。
(以下、私が調べたことなのですが誤りがありましたら、ご指摘戴けると嬉しいです)


溝口は監督作品90本の中、現存するのは33本。
山中は21本中、3本。
『愛怨峡』は溝口の61作目に当たるが、ここまでで現存(完全な形でなくとも)するのは11作品。
『ふるさとの歌』(28年)、『朝日は輝く』(29年)、『東京行進曲』(29年)、『ふるさと』(30年)、
『滝の白糸』(33年)、『折鶴お千』(35年)、『マリヤのお雪』(35年)、『虞美人草』(35年)、
『浪華悲歌』(36年)、『祇園の姉妹』(36年)、『愛怨峡』(37年)。


溝口も37年までに限れば現存率が2割を切っていて、しかも50本というのは大きな喪失だ。
ただし山中が監督をしていた32年〜37年に限れば、12作中7本現存と割と高率。
1903年生まれで24歳の時『懺悔の刃』(27年)で監督デビューした小津安二郎がこの期間どうかというと、15作中11本現存とこれも高率だ。
『大人の見る絵本 生まれてはみたけれど』(32年)、『青春の夢いまいづこ』(32年)、『東京の女』(33年)、
非常線の女』(33年)、『出来ごころ』(33年)、『母を恋わずや』(34年)、『浮草物語』(34年)、
菊五郎の鏡獅子』(35年)、『東京の宿』(35年)、『一人息子』(36年)、『淑女は何を忘れたか』(37年)。


同じ時点でのキャリアも所属会社も違うので比較しても仕方ないのかもしれない。
(ちなみに1910年生まれの黒澤明が『姿三四郎』で監督デビューするのは1943年33歳の時)
溝口も小津も好きで、自分でも何がしたいのか良く判らなくなってきたが、でもやはり悔しい。